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なつへの扉【7】

なつへの扉【7】


 宵闇に、雪がはらはら舞っている。気温はどんどん下がっているようだ。肌寒いのを通り越し、息を白くさせる。
 僕は外に出ていた。
 情けないことに、あんな状態になった琴子と並んで寝るのが怖くなったからだ。
 コートを着ずに出てきたせいで、服の隙間から冷気が入り込んでくる。
 寒いかも知れない。でも、それは琴子を不機嫌にさせた僕への罰だと考えることにした。
 煙草を銜え、歩き出す。
 積もり始めた薄い雪に、僕の足跡が残った。
 どうしたらいいか分からなかった。
 僕は琴子と結婚する。琴子のことが好きで、一緒に生きていきたいと思う心に嘘はない。
 だから、楽しい思い出だった流美姉ちゃんのことを共有してほしくて、ああやって話していたのに。
 琴子は、どうしてか怒ってしまった。
 嫉妬、なのだろうか。流美姉ちゃんに対しての。
 そんなこと、考えたくはない。もう死んでしまった、思い出の中の女性に対して、そんなことを抱くのだろうか。
 そう思いはしたが、でも、強く否定は出来なかった。
 だって、僕はいまだに流美姉ちゃんの思い出を大事に、心の引き出しにしまっている。流美姉ちゃんがいたら、という仮定を今回の帰省で常に考えていたのも事実だ。
 参った。どうしたらいいんだろう。
 煙草の火がフィルター近くまで来て、僕は一度考えるのを中断し、足を止めた。ポケットをさぐり、携帯灰皿を忘れたことに気づいて、バツが悪くなりながらも足元へ落とす。それは積もった雪へ落ちて、ジュ、と小さな音を立てた。
「……ん?」
 消えた煙草のそばに、僕のものとは違う、小さな足跡があった。
 人のものではない。
 円がいくつか連なったようなそれは、猫の足跡。
「……ピート?」
 そんなわけないと思いながら、感傷的な気分で懐かしい猫の名を呼んだ。もう生きているわけがないのだ。僕が小さな頃に大人になっていた猫だ。生きていたら、きっと化け猫に生まれ変わっている。
 そう思っていたのに。
 ――にゃー。
 ベランダで聞いた声を、また耳にした。
 虚を突かれた思いで、周囲を見渡す。
 宵闇の中に、僕は立ち尽くしている。
 変わらない。
 いや、違う。
 なんだ、この違和感。
 じっとりと汗が出てきた。
 寒いはずなのに――いや、寒くない。
 積もり始めていた雪がなくなっていた。
 それどころか、地面には湿った後もなく、乾燥した道路のアスファルトが、じっとりと熱を出している。
 ――にゃー。
 困惑する僕に、またあの鳴き声がかけられた。
 少し先の闇に、光る目がふたつ。
 闇に慣れた僕の目は、そこに一匹の影を捉えた。
「ピー……ト?」
 そんな、という否定とともに、間違いない、という確信も一緒になって沸いた。
 あの野良猫らしからぬ恰幅の良さと、じっと人の顔を見つめてくる視線。あれは間違いない。ピートだ。
 しばらく見つめあった後、ピートは僕から視線を外し、背を向けて歩き出した。
「あ、ちょっと待ってよ! ピート! ピートだろ!」
 慌てて、僕は追いかける。少し動いただけで、汗が噴き出す。
 この暑さ――まるで夏だ。

 暑さに袖をまくりながらピートを追いかけた僕は、近所の公園まで来ていた。
 すぐ先を歩いていたはずのピートは、いつの間にか消えている。
 薄い街灯が、公園の青々とした木々を照らしているのを見て、僕はまた違和感を覚えた。
 公園の落葉樹が、どうして冬に葉をつける。それどころか、セミの鳴き声までする。灯りを昼と錯覚した、夜のセミ。
 そう、セミだ。セミは冬に鳴かない。鳴くのは――夏。
 今、僕が立っているのは夏なのか?
 とにかく、僕の冷気に慣れた体は、気温の急激な変化についていけない。自律神経がめまぐるしく働き、ダラダラと汗を出す。
 それでも、ピートを探さなきゃならない。
 周囲の季節の突然の変化より、どうしてか、彼のことが気になった。
 この辺で姿を見失ったのなら、公園に入ったのかもしれない。
 そう思い、足を踏み入れる。
 その足はすぐに止まった。
 公園に置かれたベンチ。そこに、ピートがいた。
 でも、僕の足を止めたのは彼のせいじゃない。
 ピートのそば。
 ベンチに、腰掛けている人がいたから。
 尻尾をゆらゆらと揺らすピートのそばで、紫煙が揺れていた。
 かがんだ拍子にさらさらと零れ落ちた、濡羽色の艶のある長い黒髪。
 切りそろえた前髪と、少し大きめの口。
 穏やかで、涼しげな目元。
 香ってくる、ショートホープの匂い。
 流美姉ちゃん……。
 そこにいるのは、流美姉ちゃんだった。
 記憶の中と、部屋に飾ってあるあの写真の中と、寸分違わぬ、あの流美姉ちゃん。
 そうだ。ここは、姉ちゃんがよく散歩コースに選んでいたという公園なんだと、小さい頃に聞いた話を思い出した。
 なら、僕はタイムスリップでもしてしまったらしい。
 姉ちゃんが生きていた、いつかの散歩の日に。
 なら、彼女はまだ生きている。
 会いたかった、流美姉ちゃんの、当時の姿。
 声をかけようとして、その言葉はついに出なかった。
 目の前の光景が、どうしようもなく切なくて。
 かけたい言葉が、どうしても見つからなくて。
 ただ懐かしくて。また会えるとは思っていなかったから。
 僕はただ、そこに突っ立っていた。
 そうして僕がしばらく黙っていると、やがて彼女は人の気配に気づき、こっちに目を向けた。
 少し眉のあいだに皺を寄せて。
「……お義兄さん?」
 父さんのことをそう呼んでいた。暗がりで、僕の面影は彼女の記憶の中で、彼に結びついたんだろう。
「あ、いや……」
 上手く言葉が出てこず、この状況にも、流美姉ちゃんとの予期せぬ再会にもついていけない僕は、視線を逸らしてしまう。
 また会えたら、って思っていたはずなのに。
「ああ、ごめんなさい。身内の人と良く似ていたので」
「いえ……」
 相変わらず視線を外したままの僕に、彼女は警戒心を抱くわけでもなく、穏やかに声をかけていた。
 深夜に差し掛かる時間に夜歩きしている男性にもかかわらず、だ。
 不審者とは思わないのだろうか。それとも、夜中だから?
 近所から疎ましい目で見られていた流美姉ちゃんは、そんな毎日とは隔絶した夜に会った人間だから、僕に対して壁を作らないのだろうか。
「……え?」
 じっと僕を見つめているらしい彼女から、息を呑む音が聞こえた。
 ようやく僕は彼女に視線を向ける。
 流美姉ちゃんは立ち上がっていた。
「あんた……もしかして……」
 にゃー。
 ピートが鳴いた。
 そして、姉ちゃんの口から出た言葉は。
「収穂?」
 僕の名を呼んだ。
「なんで……」
 わかったの? その言葉は言えなかった。姉ちゃんが僕のそばまで走りよって、肩を手をかけたから。
「収穂! 収穂なんでしょ!」
 そうやって、姉ちゃんは僕の肩を揺さぶる。その嬉しそうな顔に、疑問はどうでもよくなって、やっと動揺から醒めた僕は、たどたどしく、「うん」と頷いた。


〉〉〉なつへの扉【8】へ続く。
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Author:三日月幻夜
よく「雰囲気大分違うけど、同じ人が書いたの?」って言われます。
色々あるので見てってください。

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