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なつへの扉【1】

なつへの扉【1】


「ふうん……今の時期ってそんなに寒いんだ」
 そんな風につぶやきながら、琴子(ことこ)は新幹線の座席で鼻をかんだ。
 そのまま、なぜか丸めたティッシュを僕の目の前に差し出して「見る?」なんて言ってくる。
「いらない」
 せめて「いる?」くらいにしろよ、と言おうかとも思ったが、どっちにしろまともな行動とも思えなかったので、あきらめた。
 今に始まった奇行ではない。彼女と恋人なんて関係になったときから、この突拍子もない悪ふざけは覚悟の上だ。
 ティッシュをゴミ袋に捨て、琴子は新幹線の厚い窓にかぶりつくようにして、流れていく景色をじっと眺めだした。
 冬景色が珍しいのだろう。いくらテレビや写真や、小説からのイメージを持っていても、雪が降らない町で育った彼女にとって、雪国の一面真っ白に塗り替えられた景色が現実の感覚としてその目に映るようになるには、たかだか数分の車窓からの景色では足りない。
「トンネルを抜けると雪国って、ほんとなんだね」
 暖房で乾燥しているせいか鼻をグズグズさせて琴子が言う。
 確かに、奥羽山脈を抜けて日本海側に入る新幹線のルートなら、トンネルを通過する回数は増えるし、冬なら日本海側に出た瞬間に雪が降っていた……なんて情景を目の当たりに出来るだろう。
 残念ながら、僕たちの旅は小説のような出来事が起こることはないだろうけど。
 ――そういえば、帰ってきたのは何年振りになるのだろう。
 生まれてから高校を卒業するまで、離れることもなく、ずっと、当たり前のように生きてきた田舎。電車の本数が少なくて、冬になれば雪ばっかり降って、早朝に叩き起こされて雪かきをさせられた、そんな田舎。
 初めて付き合った女の子や、初めてキスした女の子もあそこにいた。
 高校を卒業して田舎から離れることになり、それを機に別れることになったあの子は、今頃どうしているだろう。上京前日の夜に出かけた町――別れ際の笑顔を思い出す。「元気でいて」という言葉を最後に聞くことのなくなったあの声。それきりになり、連絡することもなくなって、同窓会にも出席しなかったこともあり、その近況は絶えて久しい。
 きっと、新しい恋をして僕のことも忘れただろう。
 僕も同じだ。
 隣に座る彼女を横目に、そんな風に思う。
 今、僕の隣にいるのは琴子なのだから。
 相変わらず、琴子は車窓を流れていく雪景色を眺めていた。彼女がさっきまで読んでいた小説は、椅子の折りたたみテーブルの上に投げ出されて電車の揺れに小刻みに揺れている。題名はハインラインの『夏への扉』。見事に季節感がない。
「ところでさ」
「ん。なに」
「本当にいいのか、その……苗字のこと」
 不意に僕が言い出すと、琴子は静かな目を僕に向け、ため息を吐いた。
「またそれ? だからいいって言ってるでしょ」
「いや、そうなんだけど……」
 そんな煮え切らない僕の言葉に、彼女は視線をじっと向けて寄越す。それがどんな意味を持たせた言葉なのかは、言われるまでもなかった。
「私は君、『神井収穂(かみいかずほ)』のところにお嫁に行くの。第一、ウチは弟がもう後を継いでるし、親は私をはじめから嫁に出す気だったの。私のことは人の家にやってなんぼって、そう思ってて、やっと一家の穀潰しが減ったって今頃喜んでるでしょうね」
 その言葉には肉親への大袈裟な卑下や誇張も混じっていたけど、嫌がっているというニュアンスは含まれていなかった。
 確かにそうだ。彼女の両親は、僕と初めて会ったとき、僕の肩をバンバン叩きながら似たようなことを嬉しそうに言っていた。
 ただ、そうじゃないんだ。僕が言いたいのはそういうことじゃなくて……。
「それとも、なに。いまさら怖気づいた? 私が君と同じ苗字になるのは嫌?」
「……いいえ、滅相もありません」
「ならよろしい」
 言いたいことはそういうことじゃなかったけれど、僕にはその感情を言葉にすることが出来なくて、彼女の言葉にただただ合わせた。
 そうすると、琴子は大仰にそう言って、『夏への扉』で僕の頭をポンと叩き、また視線を車窓に戻した。会話はこれで終わりらしい。
 訪れた沈黙に、僕は穏やかさとやりきれなさが同居したような感情を持ちながら、胸ポケットの煙草を探り、禁煙席だったことを思い出して手を降ろす。仕方なしに、気を紛らわそうと記憶の中の帰路を思い出そうとした。
 僕が琴子を連れ故郷に戻ってきた理由は、他でもない彼女の存在があったからだった。要は、結婚するから、その報告に実家へ帰省すると、そういうことだ。
 だからといって、本番前の舞台袖にいるような、大袈裟なくらいの緊張とか、実家へ帰ったときの第一声はどうしようかとか、そういった感慨は沸いてこない。
 もし、これが友達へ琴子を紹介するのだったら、少しはそういった感情があったかもしれない。それがないのは、きっと、実家へ帰らなくちゃならないから。
 実家への、不快な感情。そんなのがあるからだ。
血なんか、つながっていなけりゃいいのに。
そんな言葉が浮かんで、すぐに消える。
 仕方ないのだ。そう思うしかない。一存だけで結婚したくても、最低限の事をしなければ、親族は納得しない。きっと、小うるさいことばかりが起こる。
 受験をしなければ大学には入れない。仕事をしなければ給料はもらえない。円滑な状態で恋人と一緒になりたければ、周囲を納得させなければならない。
 通過儀礼。
 そんなことなんだと割り切るしかない。そうしなければ、あんな場所に帰る気にはなれなかった。
 大した思い出なんかあるはずもない、あんな家には。
 ひとつだけあるとすれば……。
 流れるような艶のある黒髪と、涼しげな目元。
 流美(るみ)姉ちゃん――。
 ふと思い出しかけ、郷愁の形を取ったそれは、琴子の呑気な声にかき消された。
「ねえ、白熊って出る? 君の田舎」
「……見たいなら水族館行ってくれ」
 確か山の中じゃ黒い熊なら出ることあったけど……。教えてやろうかと思ったが、山に連れて行けとせがまれると面倒だったので、黙っていた。奴らは危険なのだ。その右腕の一振りは簡単に人を殺す。この都会っ子はファンシーなテレビに毒されて、それが分かっていない。
 アナウンスが流れる。もうすぐ、降車駅だ。
 荷物棚から旅行鞄を降ろし、コートを羽織る。マフラーも巻いて、座席の周りのゴミを一回り確認して。
 よし、オーケー。新幹線も速度を落とし始めている。代わり映えのない雪景色も、徐々に流れる速度を緩め、その輪郭をはっきりとしたものにさせていった。
「……なんか、トイレ行きたいなあ」
「後で行け、後で」
 どうして琴子はギリギリにならないと何もしないんだ。
 ため息を吐きながら、停車の揺れでよろめいた彼女を支えてやる。頭ひとつ小さい小柄な彼女は僕を見上げて、「さんきゅ」と言った。
「いつものことでしょうが」
 対して僕は嘆息交じり。本気でため息をついていないことは、彼女も分かっている。
 そうして僕らはそろって、電車を降りた。


〉〉〉なつへの扉【2】へ続く。
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よく「雰囲気大分違うけど、同じ人が書いたの?」って言われます。
色々あるので見てってください。

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