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『誘蛾灯』【6】(終)

『誘蛾灯』

 6 vielleichtの先は道がある

「由貴斗くんだけじゃないの、ここに来た人」
 家に戻った後、弓さんは俺に向かって言う。目の前には、ピアノ。家を出る前、猫が歩き回っていたものだろう。
「いつも、ここに来た人をフィライヒトが私の家まで連れてくるの」
 ピアノの前に座る弓さんの指が、鍵盤をなぞった。
 それは静かに高音律の旋律を紡いでいく。
 ここにたどり着くとき、猫のあとを追いかけていたとき、聞いていた旋律。
「私が何なのか、それは私自身にも分からない。でもね、ここに来る人はみんな、何かしら落ち込んでいたり、どうしようもない悩みを持った人が多いの。だから、私はいつもそんな人を抱きとめて、穏やかな時間を過ごせるようにしてあげられたら、そうしてまた戻っていけたら、って思って」
「だから、〝弓〟さん?」
「?」
 弓さんはピアノを弾くのをやめ、首を傾げて俺を見る。
「送りだす役目だから。矢を飛ばすのは、弓の役目だろ」
「あら、それは気づかなかったわ。由貴斗くん、天才ね」
「そりゃどうも」
 どちらともなく、笑う。そうしていると、足元を叩かれた。
「なーう」
 猫……。
「なら、由貴斗くん。フィライヒトのことはどう?」
 今度は俺が首を傾げる番だった。
「vielleichtって〝ひょっとしたら〟って意味なの。どこかに行きたい人たちの〝ひょっとしたら〟っていう情景を見せてくれる、この場所のことかしらね」
「変な名前だな、お前」
 足元に向けて言うと、引っかかれた。
「悪かったよ……お前がここに連れてきたんだものな。感謝してるって」
 どうだか。
 そんな目で俺を睨んで、猫――フィライヒトは弓さんの膝に乗った。
 弓さんは彼(いや、彼女? 結局分からずじまいだったな)の背を撫で始め、口元を緩めた。
 そのまま、俺を見つめる。静かな視線だった。
「まだここにいたいなら、いてもいいんだよ、由貴斗くん。私は構わないんだから」
「――申し出は嬉しいんだけどね、弓さん」
もうほとんど日の落ちた外を眺め、俺は頭をかく。
誘蛾灯は夜にしか照らさない。
きっと夜は、沈んだ俺の気持ちだ。それが解決されたら、朝が来る。そうしたら、俺は。
「いつまでも俺がここにいちゃ、次の奴がここに来れないだろ」
 そう。問題は解決したわけじゃない。日常に戻ったら、俺はまた、辛い思いをするだろう。また、嫌になってしまうかもしれない。外は、何も変わっていないのだから。
 だけど。
 少しだけ淋しそうな弓さんの顔を見ると、名残惜しくなる。でも、それに甘え続けても仕方ないんだ。
 ここは誘蛾灯。甘い灯りが、嫌な気持ちを黒こげに焼き飛ばしてくれる場所。
 それが焼き飛んだら、俺はまたふらふらしながら、飛び立たなきゃならない。
「だからさ、送り出してくれよ。悩みも嫌な感情も引き絞って、みんな吹っ飛ばすくらいで」
「……私、弓さんだものね」
 きっと、弓さんは何度も何度も、俺みたいなのを送り出してきたのだろう。ずっと、ずっと、ここで。
「――淋しい? ここに一人でいるのって」
「ううん。フィライヒトがいてくれるから。それに、ここが私の生きている場所だもの」
「そう」
「辛くなったら、いつでも来てね」
 どうやって来れるのか、それすら分からないけど。
「ああ」
 戻れる穏やかな場所があると思うだけで、心は軽くなる。
 だから、俺は頷いた。
「ありがとう、弓さん――それから、フィライヒトも」
 弓さんの笑顔と、フィライヒトの視線が、最後の映像だった。



 ピアノの旋律が聞こえた気がする。
 それから、猫の鳴き声と。
 気づくと、バスの停留所にいた。
「――あれ?」
 慌てて立ち上がる。
 バスに乗ったはいいが、行先など決めていなかった。それが、いつの間にかこんな場所にいる。
 周りを見回しても、見慣れたものは何もない。完全に知らない場所。
 山の中の、古びたバス停だった。俺のほかには誰もおらず、民家も見渡した限り、見えない。
 夕陽が、世界をオレンジに染めている。東の空は、すでに暗く、夜が迫っていた。
「いつ、バスを降りたんだっけ?」
 どうにも記憶が曖昧だ。
 随分リラックスしていた気がするが、その辺もよく思い出せない。
 確か、有休を会社から言いつけられて、それでバスに乗って――。
 気づいたらここにいる。
夢遊病にでもなったかと思い、慌てて持ち物を確認してみる。別段消えたものはなかった。
「――ん?」
 いや、ひとつだけあった。サイドバッグに入れていたはずのビーフジャーキー。なぜか、これだけが消えている。確かに、入れたはずだったのに……
「まあ、いっか」
 あっさり、切り替えがついた。なんとなくだが、バスに乗る前にあった閉塞感が、幾分か落ち着いている気がした。
 誰もいない、のどかな田舎の停車場にいるからだろうか。
 そうだ、きっとそうに違いない。
 なら、とりあえず帰ろう。
 有休が明けたら、また苦痛に満ちた日々が始まるかもしれない。
 だけど、なんだか苦しい気はしない。
 いつでもいける、場所があるから。
 場所――どこのことだ。
 いや、それより。
 日が落ちかけている。
 まだ、バスの運行が残っていればいいが。いや、それよりバス賃は財布の中にあるのか、そんなことを考えながら、時刻表を眺める。
 ぼんやりした頭の俺は、一瞬浮かんだその〝場所〟のことを考えるのを止めてしまい、ただ、これからどうやって家に戻ろうかと、その算段を立て始めた。

 それきり、俺は少し離れた場所から向けられていた二対の視線のことも、ゆっくりと去っていく足音に気づくことも、結局なかった。


〈了〉
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Author:三日月幻夜
よく「雰囲気大分違うけど、同じ人が書いたの?」って言われます。
色々あるので見てってください。

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