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『誘蛾灯』【2】

『誘蛾灯』

 2‐たどり着いたら弓さんが


 前を歩く猫の尻尾が、ゆらゆらと揺れている。それに合わせて、周囲の稲穂もゆらゆら、ゆらゆら。
 かさかさとわずかな音を残して跳ねるのは、きっとイナゴだろう。
 あぜ道は、ただ静かで、視界が広かった。遠くに見える建物も、みな背が低い。どこか曲線的で、淡い色彩を帯びたような雰囲気を持った家々。そのあいだにあるのは人工物ではなく、茜に色を変え始めた空。
 足元の砂利が、乾いた音を立てた。
 物珍しい感覚に、つい意識がいってしまう。足元を見ると、砂利のあいだから名前の知れない様々な雑草が顔を出していた。
 頬を何かがかすめていく。顔をあげてそれを追うと、赤とんぼの後ろ姿が見えた。
 秋風に乗り、軽やかに茜の空に消えていく赤。
 何もなくて、だからこそ穏やかになる。人工物の音が聞こえない、静かな場所。
「懐かしいな……」
 ここは自分の生まれ育った場所なんかじゃない。生まれ育った場所と似ているわけでもない。きっと、テレビか何かで紹介されている田舎の景色が暖かい原風景なんだと、そう刷り込まれているだけなんだろうけど。
 でも、どこか、暖かい。
 苛立ちも苦しい気持ちも、すべて忘れさせてくれるような。
 そこに吹く風は、そこに溶け込む音は、そんなものだった。
「にゃう?」
 俺の声に気づいて、猫が振り向く。瞬きを繰り返すと、彼(彼女か?)はまた前を向いて先に進みだした。
 相変わらず、ゆらゆら尻尾が揺れている。
 すぐにあぜ道は姿を変え、アスファルトになる。
 相変わらず世界は静かで、車も自転車も、人もほとんど通らなかった。
 電柱に張られた古ぼけた広告と、そのてっぺんにとまる赤とんぼ、カラス。
 それらを眺めていると。
「……?」
 旋律が聞こえた。
 静かで、優しく触れて奏でられたような、高音域の和音。
 ピアノの旋律。
 思わず、歩を速めた。
 あの灰色の猫に、いつの間にか距離を広げられている。
 まて、まってくれ。
 縮まらない距離。遠い。
 離れるな、しっかり連れて行ってくれ――!
 どうしてなのか分からない。だが、その突然の衝動は抑えが効かなかった。
 あの旋律を聴いた瞬間から。
 どこからか流れ続けている旋律を聴いている今。
 あの猫から離れたら、そこへはたどり着けない。
 離れるな、途切れるな、追いつけ――!
 景色が流れている。額から頬にかけて、汗とも涙ともつかないものが零れている。
 早足は駆け足になり、いつしか全力で走っていた。
 それなのに、猫の小さな姿は、いつまで経っても変わらない。俺と猫との空白に、旋律がたゆたった。
 縮まらない距離。尻尾がゆらゆら、ゆらゆら。
 苦しい――ゆらゆら――辛い――ゆらゆら――苛々する――ゆらゆら――待って……!

「あら、連れてきてくれたの、フィライヒト?」

 その声に、意識は時間の感覚を忘れ、静止した。
 いや、元から世界は止まっている。後ろに流れてはいなかった。
 赤とんぼが鼻先をかすめ、イナゴが足元で慌てて跳ねる。
 イチョウの葉が、風に舞った。
 そして、ピアノの旋律もまた、消えていた。
 そこは、小さな縁側。古い日本家屋の、そこから見渡せるような小さな庭の端に、俺は立っていた。
 肩に重みをかけるバッグが、茜色の空が、遠くで風になびく稲穂
が現実を告げている。
「由貴斗(ゆきと)くん? へえ、大きくなったんだ」
 さっきの声が、俺の名を呼ぶ。
 縁側に座った女性が、俺を見ていた。
 柔和そうな目元を持つ顔は穏やかに微笑を浮かべていて、その表情を包むようなまっすぐな黒髪は白いブラウスの肩に流れている。黒いスカートの膝の上には、あの灰色の猫が抱かれて、幸せそうな顔で撫でられていた。
「え……?」
 突然親しげに声をかけられて、俺は固まってしまった。
 さっきのは、なんだ?
 焦燥。縮まらない、苦痛……焦燥。
 そんなものが胸のうちにまだ残っている。
 非現実の中に見た、現実的感情。
「どうしたの?」
「あ、いや……」
 何かを言おうとして、口ごもる。
 そういえば――彼女は。
「やだなあ、私のこと分からないの?」
 彼女は苦笑する。
「わかるよ……弓さん」
 自然に衝いたその言葉が、すっきりとした音になったようだった。
「はい、合格」
 どこか非現実感をひきずる俺に、彼女――弓さんはクスクス笑いながら頷いた。
 彼女は親戚筋の弓さん。一人暮らしの彼女の家に、しばらく厄介になろうとここまで来たのだった。
 そうだ……確か。
 いまひとつ先ほどの感覚から抜け切れていない俺は、ぼやけた頭をさすりながら、苦笑した。
「それにしても、男前になったのね。最後に来たときはあんなに小さかったのに」
「弓さんは変わんないね。女子大生みたいだ」
「あら、お世辞?」
「若々しくてうらやましいよ、ってこと」
「あらやだ、私よりずっと若いくせに」
 そこで、猫(フィラ……なんだっけ?)が伸びをして、俺たちの会話を中断させる。
 静かになったのが不思議そうに、猫(フィライ……まあいいや、猫で。舌噛みそうだし)は弓さんを見上げると、また丸まって撫でてもらうことを要求した。
 笑みを浮かべて毛並みを撫でることを再開した弓さんは、その表情を崩さず、また俺に視線を向けた。
 秋風に、彼女の髪が揺れる。
「しばらくこっちにいるんだったよね」
「うん。お世話になります。ふつつかものですが」
「お嫁に来たんじゃないでしょ、まったくもう。そういう軽口は小さい頃から変わらないのね」
「人は変わらないよ、そんなに簡単にはね」
「あらら、今度はえらく哲学的ですこと」
 わざとらしくオホホホ、なんて笑って、弓さんは軽口に付き合ってくれる。
 楽でいい。気を張らなくていいから。
「それで……俺はいつまでここに立ってればいいの?」
「あらあら、ごめんなさい。気がつかなくて。玄関回って入ってきて」
 そうやって、俺はようやく目的地にたどりついたのだった。
 ――最後に来たのはいつだったかも、思い出せないまま。



〉〉〉その3へ続く。
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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No title

もしかしてタイムトンネルを通ってきたのでしょうか~。
赤とんぼの懐かしい景色に癒されました。
また続き楽しみにしています。

Re: No title

> もしかしてタイムトンネルを通ってきたのでしょうか~。
> 赤とんぼの懐かしい景色に癒されました。
> また続き楽しみにしています。

またコメントしていただけたんですね!
ありがとうございます!
この小説は情景を第一に考えていたので、それを汲み取っていただけて嬉しいです!
ご訪問ありがとうございます!
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気ままに更新してます。 気にいっていただけるものがあったならこれ幸いです。

三日月幻夜

Author:三日月幻夜
よく「雰囲気大分違うけど、同じ人が書いたの?」って言われます。
色々あるので見てってください。

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